最近、自分の中でしっくりきたことがある。
最初の一歩が踏み出せないのは、意志が弱いからでも、怠けているからでもなく、その物事に対する目的が、自分の行動を動かすほど明確になっていないからかもしれないということだ。
自分は何もしないわけではない。
むしろ逆で、何か大事なことに取り組む前に、周りを整え始めることが多い。
考えをまとめる。順番を整理する。他の細かいことを片づける。環境を整える。
一見するとちゃんと動いているように見えるし、自分でも「進めようとはしている」と思っている。
でも、肝心の本題には入っていない。
最近「大切なことを見返す」みたいなことをしていたときに、あらためてそう思った。
結局、自分は本当に大事なことほど、すぐには入れていないことがある。
それは能力がないからでも、時間がゼロだからでもなく、そこに対する目的がまだ薄いからなんじゃないか。
今はそんなふうに感じている。
1. 自分は止まっているわけじゃない。でも本題に入れていない
まず整理したいのは、自分は何もしていないわけじゃないということだ。
むしろ、日々いろんなことを考えているし、仕事も家庭もあるし、やるべきことも多い。
勉強だって発信だって、自分なりに前に進めたい気持ちはある。
でも、そういう中でたまに起こるのが、「大事なことほど後ろにずれていく」という状態だ。
やろうとは思っている。必要性も感じている。頭の中でも考えている。
それなのに、なぜか先に別のことをやってしまう。
たとえば勉強なら、まず教材の順番を考えたり、学習計画を組み直したりする。
文章なら、構成やタイトルや言い回しを考えているうちに、本文に入るのが遅くなる。
仕事でも、振り返りや整理が必要なことに対して、まず頭の中でまとめようとして、実際に書き出すのが遅れることがある。
一つひとつは全部まともに見える。
むしろ必要なことにも見える。
でも冷静に見ると、これは「進んでいるようで本題には触れていない」という状態でもある。
最近、自分の中で引っかかったのは、2週間くらい経っているのに、まだしっかり着手できていないものがあることだった。
その間、何もしていなかったわけじゃない。
でも、2週間本題に入れていないなら、それは「できなかった」より「後回しにしていた」に近い。
そこはちゃんと認めたほうがいいと思った。
2. 周りを整えることが、きれいな先延ばしになっている
自分はもともと、何かを雑にやるのがあまり好きじゃない。
せっかくやるならちゃんとやりたいし、意味のある形にしたい。
ある程度整理してから入りたいし、中途半端なまま進めるのも落ち着かない。
この感覚自体は悪くないと思う。
実際、仕事でも勉強でも、見通しを持って進めることは大事だし、丁寧さが活きる場面も多い。
でも、その「ちゃんとやりたい」が強くなりすぎると、今度は着手そのものが遅くなる。
準備や整理が、本題に入るための助走ではなく、そのままブレーキになる。
しかもこの厄介なところは、自分では先延ばしだと気づきにくいことだ。
なぜなら、一応動いているから。
何もしない先延ばしではない。
考えているし、整理しているし、別のことも進めている。
だから「今日はちゃんとやった感」も出やすい。
でも、本当に進めるべきことは進んでいない。
これはかなりやっかいだと思う。
何もしていないならまだ分かりやすい。
でも、自分みたいに「準備している」「整えている」「考えている」という形で止まると、本人も気づきにくい。
しかもその準備には一定の意味があるから、余計に自分を納得させやすい。
だけど、本当に目的が明確なものって、多少条件が整っていなくても始めるはずなんだと思う。
完璧な準備ができていなくても入るし、少し荒くても一歩を出す。
逆に、いつまでも周辺ばかり整えているときは、その物事が頭では大事でも、まだ腹の底では優先順位が決まりきっていないんだと思う。
3. 原因は「やる気不足」ではなく、目的が抽象的なこと
ここで自分がいちばんしっくりきたのが、動けない原因はやる気不足ではなく、目的の薄さなんじゃないかということだった。
自分はたぶん、意味に納得しないと強く動けないタイプなんだと思う。
人から言われたからやる、何となく必要そうだからやる、みんながやっているからやる。
そういう理由だけだと、なかなかエンジンがかからない。
逆に、自分の中で「これは自分にとって必要だ」と腹落ちしたことに対しては、それなりに粘れる。
これは強みでもあり、弱みでもある。
意味が見えたときは強い。
でも、意味が曖昧なままだと止まりやすい。
「成長したい」
「変わりたい」
「将来のために必要」
「ちゃんとしたい」
こういう言葉は全部正しい。
でも、正しいだけでは人は動けない。
少なくとも自分は動き切れない。
なぜなら、その言葉がまだ抽象的だからだ。
それが今日の行動にまで落ちていないと、目の前のやりやすいことに流れていく。
整える。調べる。考える。先に別のことを済ませる。
そうやって、本題が後ろにずれていく。
勉強もそう。
やる意味は分かっている。
将来の選択肢を増やしたいとか、家族のために収入の軸を増やしたいとか、そういうことは頭では理解している。
でも、その意味が「じゃあ今から1問やる」にまで落ちていないと、計画の見直しで終わる。
文章や発信もそう。
伝えたいことはある。考えていることもある。
でも、構成や言い回しを考えることに力を使いすぎると、書く前の整理ばかりが増える。
ちゃんとしたものにしたい気持ちは本物だけど、それが着手の言い訳になってしまうことがある。
つまり自分に足りないのは、準備そのものではなく、やる理由をもっと具体的に言える状態なんだと思う。
これは何のためにやるのか。
今やる意味は何か。
やらないままだと何が積み上がらないのか。
そこが曖昧なままだと、また周りを整えて終わる。
4. これからは「整ってからやる」ではなく「やりながら整える」
だからこれから自分が見直したいのは、気合いや根性ではなく、やる順番だ。
今までは、
整える → 納得する → 始める
になりやすかった。
でもこの順番だと、いつまでも着手できないことがある。
だからこれからは、
小さく始める → やりながら整理する → 必要なところを整える
に変えていきたい。
勉強なら、計画を見直す前に1問やる。
文章なら、構成を詰める前に結論だけ書く。
仕事の整理なら、完璧な表現を考える前に要点を出す。
そういう順番のほうが、自分には合っている気がする。
もちろん、自分の丁寧さまで否定する必要はないと思う。
意味を大事にすることも、自分らしさの一つだと思う。
ただ、その丁寧さが着手の言い訳になっているなら、そこは変えたほうがいい。
準備と回避は似ているけど違う。
その見分けを、もっとできるようになりたい。
結局、最初の一歩が踏み出せないときに見直すべきなのは、環境や気分だけではなく、自分の目的なんだと思う。
そこが薄いと、また周りを整えて終わる。
そこが明確だと、多少散らかっていても進める。
自分はたぶん、動けない人ではない。
ただ、動く理由の解像度が足りないと止まりやすいだけなんだと思う。
そう考えると、今までの引っかかり方にもかなり説明がつく。
だからこれからは、「なんでこんなに動けないんだろう」と自分を責める前に、
「そもそも自分は何のためにこれをやるのか」を先に確認したい。
そこが言えないなら、まだ目的が弱い。
そこが言えるなら、たぶん一歩は出せる。
最初の一歩を邪魔しているのは、能力不足じゃない。
準備不足でもない。
自分の場合はきっと、目的の薄さなんだと思う。
まずはそこを見誤らないことが、次の一歩につながる気がしている。
