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自分らしさを見失うと、仕事は能力より先にしんどくなる。でも最後に決めるのは、自分の捉え方でもある

目次

1. 「自分らしさを見失ってる」と言われて、図星だった

最近のしんどさの正体は、仕事量の多さや能力不足だけではなかったと思う。
もっと根っこのところで、自分らしさを引っ込めたまま働いていることが、じわじわ効いていた。

先日、あるベテランの先輩とたまたま一日だけ一緒に働いた。
その人に言われたのが、「最近、自分らしさを見失ってない?」という一言だった。

たった一日しか一緒にいなかった人に、そこを見抜かれるのかと思った。
でも同時に、かなり図星だった。

その先輩は続けて、「言い返さない人には、まわりはずっと言ってくる。全部を100で受け止めていたら、だんだん仕事に来るのが嫌になる」と言った。
これもかなり刺さった。

自分は昔から、言われたことを真面目に受け取りすぎるところがある。
指摘されたら改善しなきゃと思うし、注意されたら自分が悪かったんだと一度全部飲み込む。
責任感があるとも言えるし、真面目だとも言える。
でも、何でもかんでも真正面から受けすぎると、自分の輪郭がどんどん薄くなっていく。

相手の言葉が正しいかどうかより先に、まず自分が直さなきゃと反応してしまう。
その積み重ねが続くと、自分の考えより相手の考え、自分の感覚より相手の評価、自分の意思よりその場の空気が優先される。
そうなると、表面上はちゃんと仕事をしていても、内側では少しずつ削られていく。

さらに印象に残ったのが、「数字では勝てなくても、心の部分では戦える」という言葉だった。
仕事をしていると、どうしても数字や成果やスピードで比べてしまう。
できる人が近くにいると、その土俵で勝てないなら自分には価値がないと思いやすい。
でも本当はそうじゃない。

人の話をどう受け止めるか。
まわりにどういう空気をつくるか。
相手をどれだけ安心させられるか。
どれだけ誠実に向き合えるか。
そういう、数値にしづらい部分にも確かに力の差はある。

自分は本来、そういう部分も含めて仕事をしてきたはずだった。
でも最近は、目の前のことに追われて、タスクをこなすことばかりに意識が向いていた。
今日これをやる、次はこれをやる、これも進めなきゃ。
一見すると前向きに見えるけれど、その忙しさの中で、「それは本当に自分がやりたいことなのか」という問いをかなり後回しにしていた気がする。


2. やるべきことを積み上げるほど、自分が遠くなっていく

最近、資格の勉強や将来のための準備や、やるべきだと思うことをいくつも抱えている。
それ自体は悪いことじゃない。
むしろ必要なことだと思っているし、未来を考えたら無駄ではない。

ただ、その中にどれだけ「本当に自分がやりたい」が入っているのかと聞かれたら、少し言葉に詰まる。

たとえば資格。
取ったほうがいいのはわかる。
役に立つのもわかる。
将来の選択肢が増えるかもしれないのもわかる。
でも、心からそれを取りたいのかと聞かれたら、必ずしもそうとは言い切れないものもある。

この違和感は、甘えとかサボりたいとか、そういう話ではない。
むしろ逆で、ちゃんとしようとしているからこそ生まれるズレなんだと思う。

必要だからやる。
役に立つからやる。
損しないためにやる。
未来のためにやる。
それらは全部正しい。
でも、「自分が本当にやりたいからやる」が抜けた状態で走り続けると、どこかで息が詰まる。

自分らしさって何なんだろうと考えたとき、最初は少し反発もあった。
そもそも、自分らしさなんて簡単に出していいものなのかと思った。
社会に出れば求められる役割があるし、組織で働けば空気もルールもある。
自分らしさを出すには、それなりの実力や信頼や技術が必要なんじゃないか。
まだ何者でもないのに、これが自分ですと前に出すのは違うんじゃないか。
そんなふうにも思った。

これは今でも半分はそう思っている。
実際、何の裏付けもなく自分らしくやりますと言っても、ただの自己満足で終わることもある。
だから、自分らしさには土台が必要だという感覚は間違っていないと思う。

でもその一方で、土台ができるまで一切自分を出さない、という生き方も違う。
それをやると、自分らしさは永遠に後回しになる。
もっと実力がついたら。
もっと結果が出たら。
もっと評価されたら。
そう言い続けているうちに、自分の感覚そのものが鈍くなる。

少し前、まとまった余白のある時期があった。
あの頃の自分は、今より多少なりとも自分らしかった気がする。
好きなときに、好きなことを考え、やりたいと思ったことに時間を使っていた。
もちろん、責任が今より軽かったからできた面もある。
だから単純にあの頃に戻ればいいとは思わない。
ただ、あの時の自分には確実に「自分で選んでいる感覚」があった。

今はどうか。
毎日のタスクに追われている。
しかも、そのタスクの多くは自分で自分に課している。
もっと学ばなきゃ。
もっと進めなきゃ。
もっと形にしなきゃ。
もっと遅れを取り戻さなきゃ。
こういう思考で自分を追い立てている。

やることを増やし続けているのに、満足感が増えない。
進んでいるのに充実していない。
この状態はかなり危ないと思う。


3. しんどさの正体は、現実そのものだけじゃなく、自分の受け取り方にもある

ここで最近あらためて思ったのが、結局かなり大きいのは自分の気分次第、捉え方次第なんじゃないかということだ。

前にも似たことを考えたことがある。
同じ出来事でも、ある日は重く感じるし、別の日はそこまででもない。
同じ仕事でも、「ただ大変なだけ」と思う日もあれば、「これは自分の力になる」と思える日もある。
同じ指摘でも、「責められている」と感じる日もあれば、「見てもらえている」と受け取れる日もある。

結局、物事の重さを決めているのは、出来事そのものだけじゃない。
そのときの自分のコンディションや、その出来事をどう意味づけるかがかなり大きい。

仕事が大変なことも、上からいろいろ言われることも、自分らしさを見失っていると指摘されることも、それ自体が絶対に悪いとは言い切れない。
それを「自分を削るもの」と受け取れば苦しくなるし、「自分を鍛えるもの」「自分を見直すきっかけ」と受け取れれば、意味は変わってくる。

もちろん、何でもかんでも無理やりプラスに変換すればいいと言いたいわけじゃない。
しんどいものはしんどいし、合わないものは合わない。
理不尽なことまで「自分のため」と思い込むのは違う。
でも少なくとも、自分の中でどう捉えるかによって、同じ現実でも心の消耗度はかなり変わる。

たとえば、「最近自分らしさを見失ってる」と言われたこともそうだ。
受け取り方によっては、かなりきつい言葉だと思う。
余計なお世話だと感じてもおかしくないし、自分を否定されたように感じることもある。
でも別の角度から見れば、それは「ちゃんと見てくれている人がいた」ということでもある。
一日しか一緒に働いていないのに、そこに気づいてくれた人がいたというのは、実はありがたいことでもある。

つまり、問題なのは出来事が起きたことだけじゃない。
その出来事を、自分がどんな物語として受け取るかだと思う。

「また言われた」で終わるのか。
「今の自分に必要なヒントかもしれない」と思うのか。
「責められてる」と感じるのか。
「見抜かれた」と感じるのか。
その違いは、かなり大きい。

夜になってから、自分は「食べるのが好き」「寝るのが好き」だと思っていたけれど、もしかしたら違うのかもしれないとも考えた。
本当に好きなのは、食べたあとに来るちょっとした高揚感とか、眠る直前や二度寝のときのふわっとした快楽のほうなんじゃないかと。

食事そのものが好きというより、満たされた感じや血糖値が上がる感じに惹かれているだけかもしれない。
睡眠そのものが好きというより、意識がほどける感覚に依存しているだけかもしれない。
もしそうだとしたら、自分は「好き」を選んでいるようでいて、実際はただ手軽な快楽に引っ張られているだけなんじゃないかと思った。

これも結局、受け取り方の問題とつながっている。
本当に自分を満たしているものが何なのかを見誤ると、人は「気分が楽になるもの」を「自分に必要なもの」だと思い込みやすい。

食べる。
寝る。
スマホを見る。
動画を見る。
その瞬間だけ気持ちが軽くなるものに寄っていく。
それ自体は悪くない。
でも、それが唯一の逃げ場になっているなら、心の中で何かがずれている。


4. 自分らしさは、「何を感じるか」より「どう意味づけるか」の積み重ねかもしれない

じゃあどうすればいいのか。
今の自分なりに思うのは、現実を変えることも大事だけど、その前に自分の受け取り方を整えることもかなり重要だということだ。

結局、人は出来事そのもので疲れるだけじゃない。
その出来事に対して、自分の中でどういう意味を与えたかでも疲れる。

仕事が多い。
それを「終わらない負担」と見るのか、「任されている証拠」と見るのか。
指摘された。
それを「否定された」と見るのか、「見られている」と見るのか。
今の自分が苦しい。
それを「終わってる」と見るのか、「立て直しどころだ」と見るのか。
この違いは大きい。

たぶん、自分らしさって「好き勝手に振る舞うこと」ではない。
「これが自分です」と強く打ち出すことでもない。
もっと地味で、もっと日常的なものなんだと思う。

何を言うか。
何を言わないか。
何を受け取るか。
何を受け流すか。
何を自分の力だと考えるか。
何をただのノイズだと判断するか。
そういう小さな意味づけの積み重ねが、自分らしさにつながっていく。

だから、自分らしさを取り戻すために必要なのは、急に大きく変わることじゃない。
まずは、自分の中で起きている解釈をちゃんと見ることだと思う。

今、自分はこの仕事をどう見ているのか。
この言葉をどう受け取っているのか。
この疲れをどう意味づけているのか。
この努力を、自分は本当に自分の力になるものだと思えているのか。
そこを見直すだけでも、心の重さは変わってくる。

何でも前向きに受け取ればいい、という単純な話ではない。
でも、前向きに受け取れる余地があるのに、最初から全部を重荷として受け取ってしまうのは、かなりもったいない。
自分の力になっていると思えた瞬間に、同じ経験でも価値が変わるからだ。

最近のしんどさを通して思うのは、結局、自分を一番削るのは現実そのものだけじゃなく、「この現実には意味がない」と自分で思ってしまうことなのかもしれない、ということだ。
逆に言えば、「これは自分の力になる」「これは今の自分に必要なことかもしれない」と思えたとき、人は同じ現実の中でも少し立ち上がれる。

自分らしさを見失うと、仕事は能力より先にしんどくなる。
でも、そのしんどさから抜ける入口もまた、自分の中にある。

起きた出来事をゼロにはできない。
環境も、立場も、他人も、すぐには変わらない。
それでも、その出来事をどう意味づけるかは、自分で選び直せる。

自分らしさって何なのか。
まだはっきり答えは出ていない。
でも少なくとも、自分の感覚を無視し続けることではないし、全部を重荷として受け取ることでもない。

少しでも自分の力になる形で物事を捉え直すこと。
その積み重ねが、たぶん自分らしさを取り戻すことにつながっていくんだと思う。

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