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「白でい続けた人生」から抜け出すと決めた日

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結論からいう。色のない人生は、ラクだ。でも、空虚だ。

嫌われない。揉めない。どこにでも溶け込める。

そういう生き方は、処世術としては正解だと思う。少なくとも、若い頃の自分はそう信じていた。

でも、ある日ふと気づいた。

「自分って、何が好きなんだろう?」

答えが、出なかった。

食べ物の好みとか、趣味とかじゃない。そういう話じゃない。「何のために生きているのか」「何に情熱を感じるのか」「自分の人生で、本当に大切にしたいことは何か」——そういうことが、まったくわからなくなっていた。

これは恥ずかしい告白だ。でも、同じような感覚を持っている人は、きっと少なくないと思う。

「なんとなく頑張ってきた。でも、何のために頑張ってきたのかわからない。」

そんな感覚。

今日はその話をしようと思う。


「白でいること」の正体

白という色は、どんな色とも混ざれる。

赤を足せば赤になる。青を足せば青になる。どの絵具とも相性がいい。

自分はずっと、そういう人間でいようとしてきた。

・意見を強く言わない。
・場の空気を読んで合わせる。
・誰かが不快に思うようなことはしない。
・どのグループにも属せるよう、どこにも深く踏み込まない。

これは意識的な戦略だったわけじゃない。いつの間にか、そういう人間になっていた。

学校でも、職場でも、友人関係でも。「あいつ、うまくやってるよな」と思われていたかもしれない。実際、大きなトラブルはなかった。誰かに激しく嫌われた記憶もない。評価も、まあまあついてきた。

でも、その裏で何かが積み重なっていた。

小さな「本当は〜だけど」が、少しずつ溜まっていた。

本当は嫌だったけど、「いいですよ」と言った。
本当は違うと思ったけど、「そうですね」と頷いた。
本当はやってみたかったけど、「まぁ今じゃなくてもいいか」と流した。
本当は悔しかったけど、「仕方ない」と飲み込んだ。

一つひとつは小さい。でもこれが何年も積み重なると、ある日こうなる。

「自分の輪郭がわからなくなる。」

これが、「白でいること」の正体だった。


感情を丸くしてきた代償

「感情的にならない人」って、評価されやすい。

冷静で、客観的で、人の話をよく聞く。感情に振り回されず、いつも安定している。

組織の中では、そういう人が重宝される。「あの人、頭いいよな」「大人だよな」と言われる。

でも、裏を返すとこういうことでもある。

強い感情を持たない人間は、強い好みも持てない。

好きなことってどこから来るか、考えたことがあるだろうか。

たとえば、「音楽が好き」という感情。あれって、最初は「なんかわからないけど、この曲聴くと体が動く」「この歌詞、刺さる」みたいな、ちょっと強引で説明しにくい感覚から始まる。

「料理が好き」も同じ。誰かに作ったものを「おいしい」と言ってもらえた時の、あの言葉にならない嬉しさとか、食材の組み合わせを考えている時のワクワクとか。

好きっていうのは、感情的な体験の積み重ねだ。

だから、感情を丸くしてきた人間は、好きを育てにくい。

怒りも、悔しさも、恥も、失敗の痛みも——それを感じる機会を自分でつぶしてきたから。感情のボリュームを常に低めに保ってきたから。

その結果、好きも嫌いも薄まっていく。

「なんでもいい」「どっちでもいい」「合わせます」

これは協調性じゃない。こだわりの消滅だ。


こだわりがない人間の末路

こだわりがないのは、短期的にはラクだ。

選択で迷わない。誰かに合わせれば済む。「なんでもいい」と言っておけば、摩擦が起きない。

でも、時間が経つと気づく。

こだわりのない人間は、替えがきく。

仕事でも、人間関係でも。「あの人じゃないとダメ」ではなく、「誰でもいいけど、あの人で」という存在になっていく。

情熱で語れるものがない。強い言葉で伝えられるものがない。

「これだけは譲れない」がない人間は、どこか物足りない。

組織の中でオールマイティーな人材は便利だ。でも、リーダーにはなりにくい。その人にしかできない仕事が、ない。

そして、もっと怖いのはここだ。

「自分は何のために生きているんだろう?」という疑問が、ある日突然やってくる。

40代、50代になって、子育ても一段落して、ふと立ち止まった時。あるいは、職場での役割が変わって、これまでの自分の定義が崩れた時。

「自分の人生、何だったんだろう。」

こだわりがなければ、軸もない。軸がなければ、将来像もぼやける。ぼやけた将来像で生きていると、何かをきっかけに一気に空虚になる。

これは、怠けてきた人間の話じゃない。むしろ頑張ってきた人間が陥る罠だ。

「真面目に、でも白く、生きてきた人」が感じる空虚さだ。


オールマイティーの限界を知った日

自分のことを「使えない人間」だと思ったことは、ほとんどない。

仕事も、それなりにできた。人間関係も、まあうまくやれた。チームでも評価されてきた。

でも、ある時気づいた。

「俺、何に情熱があるんだっけ?」

飲み会で、誰かが熱く語っているのを見た。趣味の話でも、仕事の話でも、子育ての話でも、なんでもいい。「これが好きで、こうしたい、こうなりたい」と目を輝かせて話している姿。

それを見て、羨ましいと思った。

「俺、あんな風に語れるものって、何があるんだろう。」

なかった。

いや、正確には、「あるかもしれないけど、薄い」という感じだった。

それまで大切にしてきた「オールマイティーさ」が、実は武器じゃなかったと気づいた瞬間だった。

どこでも使える汎用工具は、確かに便利だ。でも、特定の場面で最強を発揮する専門道具にはかなわない。オールマイティーでいることの安心感の裏に、「これだけは俺が一番だ」と言えるものを持てていない虚しさがあった。

バランスがいいということは、爆発力がないということでもある。


若い頃に尖れなかった後悔

若い時に戻れるなら、と思う瞬間がある。

守るものが少なかったあの頃。失敗しても、まだ立て直せたあの頃。

あの頃にこそ、もっと本気でぶつかればよかった。

・死ぬほど悔しい思いをする経験。
・誰かに嫌われてでも、自分の意見を通す経験。
・失敗して笑われる経験。
・バカみたいに何かにのめり込む経験。

こういう経験こそが、人間の「色」を作る。

でも、自分はそれを避けてきた。傷つくのが怖かった。嫌われるのが怖かった。失敗して恥をかくのが怖かった。

「今のところ問題ない」を優先して、「本当はやってみたい」を後回しにした。

その結果、大きな傷はない。でも、大きな武器もない。

これは怠けた人間の話ではない。むしろ、”賢く”生きようとした人間が自分に課してしまった制限だ。

後悔してもしょうがない。でも、正直に言えば、後悔はある。

あの頃の俺に言えるなら、「もっとバカになれ」と言いたい。


息子への手紙のつもりで書く

自分には息子がいる。

まだ小さい。でも、いつか自分で選ぶ日が来る。仕事を選ぶ日、人を好きになる日、何かに本気になる日、諦める日、立ち上がる日。

その時に、父親として何を伝えられるか。

「無難に生きろ」とは言いたくない。

「失敗するな」とも言いたくない。

伝えたいのは、一つだけだ。

「尖れ。」

乱暴になれという意味じゃない。人を傷つけろということでもない。

好きなことに、本気になれ。
嫌なことから、目を逸らすな。
悔しさを、飲み込むな。
自分の意見を、持て。
間違えてもいい。でも、自分で判断しろ。

誰かの色に染まるんじゃなく、自分の色で生きろ。

多少嫌われてもいい。多少失敗してもいい。笑われてもいい。

その経験の積み重ねが、「自分の軸」になる。軸がある人間は、ブレない。多少環境が変わっても、自分を見失わない。

親が子供に伝えられる一番大切なことって、言葉じゃないと思う。生き方だと思う。

だから、息子に伝える前に、自分が体現しなきゃいけない。


尖ることへの恐怖、正直に言う

かっこいいことを書いてきたけど、正直に言う。

尖るのは、怖い。

嫌われるかもしれない。失敗するかもしれない。否定されるかもしれない。「あいつ、変わったな」と思われるかもしれない。

これまで「白」でいることで守ってきたものが、崩れるかもしれない。

怖い。普通に怖い。

でも、最近思うのは、この怖さは「成長の入り口」だということだ。

怖さがない選択は、大抵すでに通った道だ。すでに知っている道だから、怖くない。

逆に言えば、怖いということは、まだ踏み込んでいない場所がそこにあるということだ。

失敗して傷つくかもしれない。嫌われるかもしれない。でも、そこからしか生まれないものがある。

強いこだわり。本気の好き。揺るがない軸。

これがある人は、ブレない。自分の言葉で語れる。人を動かせる。

人生の密度が、違う。


じゃあ、今日から何をするか

偉そうに書いてきたが、一番向き合うべきは自分だ。

これからやることを、具体的に書いておく。自分への宣言として。

①「嫌なことを嫌と言う」練習をする

小さいことからでいい。「これ、ちょっと違うと思う」を飲み込まない。「俺はこう考える」を言葉にする練習。

②「好きなこと」を深掘りする時間を作る

好きかもしれないことに、時間を使う。うまくいかなくていい。下手でいい。「なんか楽しいかも」という感覚を大事にする。

③挑戦を先延ばしにしない

「いつかやろう」は大抵やらない。タイミングが来るのを待つのをやめる。今できる最小の一歩を、今日踏む。

④「どっちでもいい」を減らす

ランチ何食べるかでも、会議での発言でも、自分の意見を出す練習。小さい選択を積み重ねることで、「自分の輪郭」を取り戻す。

完璧にやろうとしなくていい。一気に変わろうとしなくていい。

ただ、少しずつ「自分の色」を取り戻していく。


まとめ:ふわっとするな、向き合え

楽をするな、と言いたいわけじゃない。

休むべき時は休めばいい。流せるものは流せばいい。全部に本気になる必要もない。

でも、「ふわっと生きること」と「賢く休むこと」は違う。

ふわっとするというのは、感情を丸め続けること。傷つかないために、何にも本気にならないこと。「どっちでもいい」を選び続けること。

それは楽に見えて、長い目で見ると一番しんどい生き方だ。

好きがわからない。
こだわりが育たない。
将来がぼやける。
「自分は何者か」がわからなくなる。

白でいることは、賢い選択に見える。でも、それだけでは「自分の人生」にならない。

色がないと、好きも見えない。自分の輪郭も描けない。


若い頃の経験は、あとからまとめて取り返せない。

失敗も、恥も、挑戦も、若い時ほど価値がある。

守られているうちに。
挑戦できるうちに。
ぶつかれるうちに。

向き合え。

ふわっとではなく、ちゃんと向き合って。

息子には、自分の色で生きてほしい。

そして自分も、これからはそう生きる。

自分の人生を、自分の手で漕ぐために。

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